山王祭とは
山王祭とは
徳川時代、江戸城内に入御した御神輿を、三代将軍家光公以来、歴代の将軍が上覧拝礼する「天下祭」として盛大をきわめ、江戸三大祭の筆頭として、さらに京都の祇園祭・大阪の天神祭と共に、日本三大祭に数えられているお祭りで、例年6月に開催されます。
さらに、隔年で東京都心を300mの神幸行列が練り歩く神幸祭も山王祭の行事として開催予定で、境内では江戸時代の伝統芸能である邦楽やお茶、お花、など様々なイベントが開催しています。
(次回の神幸祭は令和6年6月7日)東京のど真ん中で江戸時代にタイムスリップしたかのような体験をぜひご堪能ください。
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山王祭
(日枝神社)
日本三大祭
祇園祭(京都 八坂神社)
天神祭(大阪 天満宮)
江戸三大祭
神田祭(神田明神)
深川八幡祭(富岡八幡宮)
山王祭の楽しみ方
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一. 象の山車(だし)
東京都心を行列が練り歩く神幸祭(6月7日斎行予定)では、象の山車が初登場。そのリアルな姿と大きさは、装束に身を包んだ様々な人々や御鳳輦・宮神輿・山車の中でもひときわ目立ちます。神幸祭終了後は境内に展示されます。
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二. 境内での多彩な催し
境内では稚児行列や山王嘉祥祭などの行事に加え、神楽囃子や里神楽などの伝統的な芸能、野点御茶席、合唱団によるコーラスなど、色鮮やかで多彩な日本の文化をお楽しみいただけます。境内へのアクセスは溜池山王駅からエスカレーターが便利です。日程表はこちら
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三. キッチンカー
溜池山王駅前で開催される山王音頭と民踊大会(納涼大会)は6月13日(木)〜15日(土)に開催予定で、各種のキッチンカーが多彩な飲食物を提供しています。初夏の心地よい風に吹かれながら、どこよりも早い盆踊りの熱気・音色とともに数々のグルメをご堪能ください。
山王祭の歴史
日枝神社の四季(前編)
日枝神社の四季(後編)
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山王祭の起源
江戸城の鎮守であった日枝神社は徳川将軍家の産土神として崇敬されました。
慶長9年(1604)三代将軍家光公が城内にて誕生なされてより、「我誕生所之霊神」として篤い信仰を寄せました。
6月15日の大祭である山王祭はその規模は東都随一と称され、京都の祇園祭、大阪の天神祭と共に日本三大祭の一と称され、その祭礼に係わる費用を幕府より支出したことから「御用祭」ともいわれました。 -
山王祭は「上覧祭」
山王祭といえば「神幸祭」です。その神幸祭が初めて見えるのは、二代将軍秀忠公の元和2年(1616)からといわれています。また寛永12年(1635)家光公が城の楼上にて神幸行列を御覧になり、これが「徳川実紀」における将軍上覧の初見です。以後、将軍の上覧は江戸時代を通じて恒例となり、神輿の城内渡御は106回を数えました。
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山王祭の神幸行列
山王祭の神幸行列は「神輿行列」と「山車行列」で構成されています。山車行列は氏子の町々(百六十余町)が単独或いは類で参加し、山車の数45台と決められたが、附祭である踊屋台、練り物に趣向が凝らされ、華美に亘るとしてしばしば禁制をもって取締りがありました。
しかし、明治維新後、府内の主要な道路に電気が通り、高さ4メートルの電線が巡らされるようになると、山車、錦旗は通行が難しくなり、やがて神輿に取って代わっていきました。 -
神幸祭の中断と再開
昭和12年、支那事変(日中戦争)の激化により、祭礼の中断がやむを得なくなり、敗戦を経て.昭和27年6月より神幸祭は再開されました。東都第一の祭礼といわれた伝統の神幸祭に復するべく内容を整えて現在に至ります。
行事日程
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奉祝神賑
嘉祥祭菓子接待席
日程:令和6年6月7日(金)~16日(日)
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奉祝神賑
江戸の伝統「里神楽」
日程:令和6年6月15日(土)
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奉祝神賑
煎茶礼道日泉流野煎席
日程:令和6年6月16日(日)