山王祭は、江戸三大祭の筆頭として、さらに京都の祇園祭・大阪の天神祭と共に、日本三大祭に数えられるお祭りです。

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山王祭 6月に都心で開催される天下祭

赤坂山王日枝神社
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山車の紹介

江戸時代、「天下祭」と謳われた山王祭の巡行は神輿と山車の巡行でした。
山車とは、祭礼時に山、鉾、人形、花等の代物を飾りつけて、牛が曳いたり人が担いだりする移動神座をいいました。
江戸時代の山王祭では、45番もの山車が引き出され、その行列は江戸の町を埋め尽くさんばかりでした。
しかし、明治維新後様々な事情により山車の巡行から神輿の渡御へと移り変わりました。
後に、関東大震災や戦災により多くの山車、人形は焼失しましたが、
各地に渡り今もその土地で大事に管理されている山車もあります。
ここでは、当時江戸の各町を巡行し、今もなお各地に現存(または復元)して、
往時の姿を残している山車または山車人形をご紹介します。

三番 麹町四・五・六丁目「土佐坊」 (個人寄託)


日枝神社宝物殿にてご覧いただけます。

三番 麹町七・八・九丁目「神功皇后」「武内宿禰」


文政5年6月の製作。作者は出目元祖三光入道政満三十二代後胤出目大学藤原泰満、人形師武蔵歳安。
昭和40年9月麴町5丁目町会より奉納されました。 (日枝神社宝物殿にてご覧いただけます。)

三番 麹町平川町一・二丁目 「太鼓打人形」(てけてん小僧)

区立日比谷図書文化館 所在(非公開)

千代田区が現在所有しています。江戸時代以来、山王祭礼で麹町五丁目町会の山車に使用されていたと伝えられる山車人形であり、カラクリ構造を持つ山車人形としても現存する数少ない事例として、区内における祭礼について考えるうえで、貴重な資料とされています。千代田区指定の有形民俗文化財です。
(※江戸時代の麹町の町名と現在の町名に番号に違いがあると思われます。)

七番 本町四丁分・岩附町・本革屋町・金吹町 「弁財天」


大正11年 茨城県石岡市金丸町が日本橋魚市場本小田原町より購入しました。
山車車体は新しいものに変わりましたが、人形は現役で地元の総社大祭(毎年九月十五日)で曳かれています。
その可動式構造の重層山車である「江戸型山車」の典型的姿が失われておらず、
この山車の巡行は、安政5年(1858)の天下祭錦絵「山王御祭礼図」に見る辨財天山車を再現しています。

九番 瀬戸物町・小田原町二丁分・伊勢町 「静御前」


同町で使われていた同じ題材のものが2箇所に現存しています。


東京都青梅市の青梅住吉時代大祭
(毎年五月二日三日)のとき、
仲町会所の人形場に飾られます。
山車人形は文久元年(1861)の作で
人形師松雲斎徳山によるものです。


栃木県栃木市倭町三丁目が、日本橋町が所有する
山車を購入し、 明治7年(1874)栃木県庁構内で
行われた神武祭典の時に初めて参加しました。
出し人形・山車ともに現存し、
栃木祭り(隔年11月中旬)で曳かれています。
栃木祭りは神社祭礼ではなく
商工会議所の周年行事として始まりました。

九番 室町三丁分・本町三裏河岸・本船町・安針町「加茂能人形」


関東大震災で焼失。
しかしながら山車の10分の1サイズの
精緻な雛型(現在魚河岸會が所有)が焼失を免れ、
それを元に2体復元されました。


室町一丁目の子供用山車として、
オリジナルの2分の1サイズで昭和11年に
人形師磯貝勝之に製作されました。
隔年の神田祭で曳かれます。


魚河岸會により、昭和30年代に
フルスケールサイズに復元製作されました。
神田祭の時には神田明神境内に御仮屋を建て、
山車が展示されるのを見ることができます。

廿一番 田所町・通油町・新大坂町(二種現存)


「竹生島龍神」
千葉県佐倉市肴町が明治12年に東京市日本橋区馬喰町に
店を構えていた関岡装束店を通じて購入しました。
出し人形は田所町・通油町・新大坂町(現在の東京都
中央区大伝馬町)が所有していたものといわれています。
作者は人形師横山朝之。能面は出目洞水が打ったものです。
現在も、出し人形は新町通りの
佐倉お囃子館にて常設展示されています。


「羅陵王」
同町は文久二年に山車を新調。
埼玉県加須市本町が明治16年購入しました。
7月20日頃の祭礼で展示もしくは曳かれます。

廿五番 檜物町 「玉の井龍神」


明治12年、千葉県佐倉市二番町が東京市日本橋区馬喰町に店を構えていた関岡装束店を通じて購入しました。

出し人形は檜物町(現在の東京都中央区八重洲一丁目)が所有していたものといわれ、
現在は新町通り佐倉お囃子館に常設展示されています。
四方幕と車体は佐倉市肴町が所有し、
四方幕は佐倉秋まつり(麻賀多神社祭礼・10月第2金土日)で町内の個人宅に飾られます。
車体は部材に解体、彫刻のある欄間は個人宅の外壁の飾りに埋め込められています。
山車の勾欄は佐倉お囃子館に常設展示されています。

廿五番 上槙町 「石橋」


玉の井龍神と二本で一番組を組んでいました。
明治十二年に千葉県佐倉市横町が購入しました。

出し人形は現在残る万延元年(1860)の山王祭祭禮番附に描かれている
山王祭廿五番・上槇町(現在の東京都中央区八重洲一丁目)が所有していたものといわれています。
佐倉の秋まつり(麻賀多神社祭礼)に現役で曳かれています。

廿七番 萬町・元四日市・青物町 「日本武尊」


明治13年、千葉県佐倉市上町が東京市日本橋区馬喰町に店を構えていた関岡装束店を通じて購入しました。

出し人形は天下祭で徳川将軍家の上覧を受けた山王祭廿七番万町・元八日市町・青物町
(現在の東京都中央区日本橋一丁目)が所有していたものといわれています。
平成26年78年ぶりに車体を復元し話題となりました。

佐倉秋まつり(麻賀多神社祭礼・10月第2金土日)で町内の個人宅に飾られます。

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